Author Archives: taniuthugimanomi

どんな言葉も脆い。

優しい言葉の注射の効力は2日

言葉の傷跡は1週間で消えた。

 

何にもなりたくない。

何年生きようが、どんな経験を積もうが

根っこが自分である限り

他の何かにはなれなくて

時代が、環境が、世界が、自分を認めるかは運で

諦めきれず管を巻き、声高に叫ぶのは情けないことで

日常の中に溶け込む詩は、非労働者の戯言と一笑に伏された。

これも誰かの真似事なのだろうか。

ここには自分の言葉などなく

誰かが残した足跡をたどるだけの感性

 

関わる人は遠ければ遠いほどいい。

深く関わる人間が増えれば増えるほど身動きは取りづらくなる。

誰も私を信じるべきではない。共感に縛られたくはない。

 

愛する誰かを見つけなくては

それが世界の流行

同性異性関係なく

愛こそ正義で

死は穢れだった

 

静かなる死

土壌になる日を夢見ている

 

一体なにを望んでいるのだろう。

ここじゃないどこか

あなたじゃない誰か

わたしじゃない何か

 

違うものになりたいと、いつも思っている。

 

雨が降ると浮き上がる傷跡

 

言葉の傷跡は1週間で消えた。

思い出すのは非常階段の空気

私もまたモザイクをかけた肌色面無しの一人。

なりたくないんじゃなくて、なれなかったんだ。何にも。

傲慢かな。相手の選択肢の中に自分がいること自体が有難いことなのに。

大事にしたいのは本当なんだよ。

誰かに何かを吐き出すことは苦手

好きなことでも、辛いことでも。

だから受け止めるのが私の役割だと思ってたけど

相手にとって、受け止めてくれる相手なんて誰でもよくて

それを寂しいと思うくらいには

人に依存したい気持ちが残っている。

中途半端だ。

そういう感情があるくせに依存するのも依存されるのも嫌で。

でもここでこういう風に書いてしまうのは、

何かに寄りかかりたい気持ちが少しはあるからなんだろう。

堂々巡り。

 

言葉が苦手だから絵なのか。

絵の中では素直でいたいのに、私はまた顔色を窺っている。

誰の?

ここには誰もいない。

 

楽しい思い出を重ねても虚しさの方が勝つ。

ここから脱したい。

人とのつながりこそが救いなのだと頭では分かっていながら

他人のぬるい体温が苦手で、いつまでも自分の肩ばかり抱いている。

 

しかし人嫌いはやめた。ずいぶん前に。

人と会うのは嫌いじゃない。

じゃあこの虚無感はなんだ。

誰といても、どんなに楽しくても、ふとした瞬間に魔が刺す。

この世を容易く生きていける人間なんていない。

今更、朗らかには生きてはいけない。

こういうものだと納得するのは難しい。届かないとはいえ、ここから見える希望はあまりにも多い。

 

充足の中で生きたいんだとしたら、今の私には、スリルが足りないんじゃないか。

もっと、命を懸けてぶつからないと、魂は燃えないんだ。

もっと、戦わなきゃいけない。

でも、何と?

何を大事にしたいのか

わからない。

少し頭を冷やさないと。

 

自分の気持ちを隠し続けていたら、本当に失くしてしまったんだ。

何も深く考えず、ただただ好きでいられればよかったんだ。

何のために他で食い扶持を得たのか。

何にも制限されず好きに描くためだ。

絵を描く仕事から降りた時、まるで夢を諦めた者を見るような目で見られたが

それは全然違う。生産性なんて考えなくていい。

もっと自由になりたかったんだよ。

話を聞くことで癒してあげられるから人と会うなんて言ったけど

癒されているのは、エネルギーをもらっているのはいつも自分の方だ。

評価されない場所で消費されないものを描いていく

それがたぶん自分には合ってる

表現ひとつひとつに良いも悪いもない。

無意味なものこそ大事にしたい。

語るべきは
構図・ポージングという枠ではなくて
それを用いて何が描きたいのかということだ。

自分が見たいものを描けばいいんだ

テンプレート化・感情想起装置という言葉に嘆かなくていい。

もっと素直に描きたいものを描くべきだ。

”絵描き”という肩書は必要はない。

自分を自分として、だらだらと思うことをどんな形でも表現すればいい。

おしゃべりでも

文字でも記号でも

それでいい。ただひたすらに思考の保存をしようじゃないか。