一昨日くらいから絵をかいてます。

今回は結構考え込まずに描けてるかな。

でも自分の手の遅さにうんざりする。

と、いうか本当に時間が確保できない。

やりくりがへたくそなんだよな。

誰かのために自分を犠牲にすることに慣れるとこうなる。

そしてそれをさほど悪いことだとはとらえていないのだ。

近くにいる人が、話を聞いてあげるだけで明日もがんばれるっていうなら

わざわざ絵という遠回りをしなくても、

ダイレクトに人を癒してあげられるならそっちを優先する。

 

でもどうだろう。それは単に習慣的なことで

本当は自分のために生きたいと願っているのだろうか。

満たされることはない。どんな状況になっても。

その中で何を選択する?

自分のためだろうが誰かのためだろうが

そんなことはどっちだっていいんだ。

いつも同じ虚無感につつまれている。何を選んだって変わらない。

ただただ、一人の人間でしかない。動物でしかない。細胞の塊でしかない。

作られたシステムの中で、プログラム通りに動くだけ。

そんなものが、まるで自分で決意したみたいに

何かにこだわって生きているのが馬鹿らしく思えてしまうんだよ。

こんな思考ループからは、さっさと抜け出したいと思いながら

結局ここにたどり着いてしまう。

 

なにを心地よく思うか。それがすべてで、それに従って生きるしかない。

ちがう、ちがう、そんなのは正しくない

いったいいつから自己表現のために描き始めたっていうんだ

そんな記憶はない

インプットが足りないだけ

深い記憶をたどらなければ掴めない。

私が取り戻すべきは傷の痛みじゃなくてもっと古い光の言葉だ。

白紙を前にすればなにも考えずとも手を動かす

ただただそこに向かう余力がないだけで、と言い訳。

ああいや、だから、熱量がないっていうんだよ

向かうだけの熱量が

 

でもそれを責める必要がどこにあるというのだろう。

絵を描かなくても生きていけるようになったんじゃないか

すがらなくても別のことで生きれるようになったんじゃないか

人と会って笑いあうことはこんなにも楽しいと知って、

それで満足して夜眠れる、そんな日々を手に入れたんだ。

 

でもどうしてそれがこんなにも辛いのか

間違っている気がするのか

裏切っている気がするのか

 

誰を?

過去の自分を。

全部捨てて技術を追いかけた日々が

苦渋の決断で捨ててきたものを 憐れにも今、拾おうと屈みこむ今の自分に蹴りを入れる。

 

どうしてそんな日々にとらわれなければならないのか

どうして昔決めたことにしばられなければならないのか

自分で育ててきたものが大きくなりすぎてしまった。

それに飲み込まれて、自分でまったくコントロールできない。

絵を描いてない自分なんて耐えられない。なのに出力されないイメージの数々。

それを捨てるなんてありえない

なのに素直に楽しくて好きと今は言えない。

 

周期の問題か。

そのうちケロッと、やっぱり嘘でした!お絵かき楽しいです!!って言っているんだろうか。

数日後、いや、数時間後にはそうなっているのかもしれない。

憂鬱になるのは今が夜だから。それだけの理由で十分だ。

もともと何でも意欲的にやる方ではない

規則も常識もなにもかもばかばかしくて

でもこんなこと、正直に さらけ出したって

どうにもならない。

 

楽しいこともある

嬉しいこともある

なのにそれを噛みしめて生きる自分を肯定できない

 

何もわからない

どこにもいけない。どこにいようがただの自分だ。

 

時間があったらなにがしたい?

「絵なんて描きたくないさ」

そんなこと口にしたら終わりで、

こんなのは呪いだ

コントロールできず、自己表現に支配されている。

いったいいつから人生を絵に支配されたのか

過集中 忘れたいこと

逃げるように白い紙に向かっていただけ

たまらず嘔吐するように自己表現しただけ。

 

そんなもの好んで見るやつはいない。

そんなのは避けて歩く方が正しいに決まっている。

誰も人の吐瀉物をじろじろ見たりしない。

そりゃ出来ることなら光の美しい絵を描きたい。

でも無理だ。自分には、そもそもそんな世界は見えないんだから。

ただただ重い。誰も肯定しない。こんなものは。

咀嚼しやすいように噛み砕く気力もないんだよ。

今は誰の役にも立ちたくないんだ。

血垂れのリボンタイ

思いついたからどうしても描きたかった。

 

しばらく短期出張みたいなことをしていて画材とは遠ざかっていた。

久しぶりに家に帰ってきて部屋に画材があふれていることを嬉しく思う。長年かけて集めてきた物達。

中でもやっぱりアクリル絵の具が好きだ。

マットな質感が最高だし何度も重ねられるから修正がきく。なにより乾くのが早くてうれしい。

油絵とかもやりたいんだけど、結構においがキツイので普通の部屋だと困るし、

何日たっても乾かなくて周りの物がやたらと汚れるので手を出しにくい。

ただ、最近はにおいが気になりにくい製品も出ているらしいのでいずれは試してみたいな。

 

絵を描いてはいるがなかなか完成まで漕ぎつけない日々です。

途中で飽きる、というかすぐ別の絵が描きたくなる。1枚1枚のテーマが弱いのかもしれない。

あと描いている時に頭に血が上りすぎることがあってすごく疲れる。

冷静な気持ちで分析しつつ描くものの方が、見やすいことはなんとなく分かっているけれど

なかなかその時々の感情を切り離して俯瞰で見るのは難しい。

感情に支配された描き方をしていると自分でも思う。

それで構わないし、せめて絵だけは自分のためのものであってほしい。

 

そういう思考のせいか、仕事はすっかり絵から離れてしまった。

多少はデザイン的なこともやっているけれど、絵が描けるからといってデザインもできるかと言われると

そうでもなかったりする…と思う

キャラ描けるからUIデザインもできるでしょと任されたことがあるけど、別物なんじゃないかな。

興味の対象が違うというか。

たまにどっちもできる人がいるけどそれはどっちも好きな人なんだろうな。

私はそうじゃないから、振り落とされないように必死で勉強中です。

グループ制作は自分のための絵だから、引き続き頑張ります。

怖くない…背景は怖くない…

こんにちは。谷空木(たにうつぎ)です。

背景強化を続けているのですが

如何せん建築物を描く敷居って高いなぁと感じます。

なんとなく、こう、かっちりしなきゃいけない気がして。

パースが取れてないと変になるとか、マンションの1階2階の高さはだいたい○○メートルだとか

描き出す前に覚えておきたいルールが多い印象があります。

で、恥ずかしい絵を描かないように、覚えてから!覚えてから描きます!と思ってたら

まったく描けないまま月日だけが無情に過ぎていきました……。

そして今更ながら、やっぱり背景描けるようになりたいよぉ…と。

もう下手でもいいからとにかく描くぞー!と意気込んでいるわけです。

で、思い切ってハードルをがっつり下げることにしました。

 

 

これです。

さっきの羞恥心はどこにいったのか。

何がどうなってるんだ?っていう部分は、

ブラインド・コントゥール・ドローイング法というものを実践しています。

対象物だけを見て、手元の紙は一切見ない

もしくは、対象物を目に焼き付けるほどみつめてから、ちゃんと紙も見て描くという技法のようです。

観察眼を鍛える方法みたいですね!

今回は前者でやってみました。

ちなみに余談ですが、家族や友人と一緒に

顔をブラインド・コントゥールで描き合うと福笑いみたいになってかなり笑えます。

一つの話題としておススメ。

 

こんな調子で、見えるものを気のままに描くので良し。として

仕上がりは度外視でとにかく建築物を描くことに慣れようとしています。

結構気軽で、今のところ楽しく続けられています。

下手したら小学生以下レベルかもしれませんね。

でもハードルを下げるという目的は達成しているのでまったく問題ありません。

これを飽きるまでやったら次のステップに進みたいと思います。

次のステップは、カラーに移っていくんじゃないかなぁという予感がしています。

 

風景を描くようになって言えるのは

建築物や植物等々、とにかく一度描いてみるのがとってもおすすめです。

毎日目にしているものでも、いざというとき思い通りに描けなかったりするのですが

一度スケッチでも写真模写でもいいので描いておくと、

次はこのパーツどう描こうかなとか、意識的に周りの景色を見渡すので

常日頃見ているものの見え方・情報量が変わってきます。

そうすると、ただただ無心で歩いていた道や生活空間も発見だらけで充実したものになりますよ!

ということで、今日はこの辺で。

また続報が出せるよう励みます。

それでは!